有名どころのボルドー白の中で最も好きな1本がエール・ダルジャン。
1991年から発売されている白ワイン。
まだお値段も高騰していないので今のうちに購入しておきたい。
ワインデータ
ワイン名:Aile d’Argent
生産地:France > Bordeaux > Haut Médoc > Pauillac
生産者:Baron Philippe de Rothschild (バロン・フィリップ・ド・ロートシルト)
品種:Sauvignon Blanc (ソーヴィニヨン・ブラン), Sémillon (セミヨン)
スタイル:White Wine
ワイナリー
18世紀、ムートンの畑は、ラフィットやラトゥール同じく、「葡萄の王子」との異名を取ったニコラ=アレクサンドル・ド・セギュール侯爵の所有にありました。その後、ド・ブラーヌ男爵が所有権を獲得し、ブラーヌ=ムートンと命名。1853年、名家ロスシルド家のイギリス分家に属するナタニエル・ド・ロートシルト男爵が所有権を取得し、現在のシャトー・ムートン・ロートシルトの名称が誕生します。ワインの品質評価は高まる一方でしたが、歴代所有者らがこの貧しい地方に足を運ぶことはまずなく、長年にわたってムートンはほとんど関心を持たれずにいました。そんな中、1922年、ナタニエル男爵の曽孫にあたる弱冠20歳のフィリップ・ド・ロートシルト男爵がドメーヌを承継し、自らの生涯をドメーヌに捧げることになる、これはまさに好機の訪れだったのです。
1853年ナタニエル・ド・ロートシルト男爵は、自らの来賓にプライベートワインを振る舞いたいと願い、シャトー・ブラーヌ=ムートンを競売で落札します。
ワイナリーはメドックの中心、ポイヤック村に位置し、以後「シャトー・ムートン・ロートシルト」と改名されます。
1924年フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、1922年にドメーヌを相続します。ナタニエル男爵の曽孫にあたる人物です。
その2年後、フィリップ男爵はシャトー完全ボトル詰め(元詰め)システムを課します。
ワインは樽に詰められた状態でネゴシアン(ワイン商)へ出荷されていた時代のことです。
同年、フィリップ男爵はシャトーのラベル制作をジャン・カルリュに依頼します。こ
れは若干時期尚早だったのでしょうか、翌年は継続されませんでした。
1926年シャトー元詰めへの転換には、ワイン保管面積の拡大を要しました。
1926年、ムートンが誇る「シャトー」が建設されます。
全長100メートル、建築家シャルル・シクリスの作品です。
1933年メドックの伝統に則り、1933年、フィリップ男爵はポイヤックの小さなワイン商社を買収します。
現「バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社」の前衛です。
同社はムートン・カデ(1930年発売)を中心とするワイン生産・販売を事業とし、現在では、AOCボルドーワインの世界トップブランドに成長しています。
1945年フィリップ男爵は、連合軍の勝利とムートンへの自らの生還を祝して、芸術家フィリップ・ジュリアンにムートン・ロートシルトのワインラベル制作を依頼します。
「Victory」のVの文字がボトルを飾り、称賛を浴びます。以後毎年、現代美術家がムートンのために制作したオリジナル作品が、その年のワインラベルを飾っています。
1962年当時のフランス政府文化大臣、アンドレ・マルロー列席のもと、 「Musée du Vin dans l’Art(芸術の中のワイン・ミュージアム)」が開館します。
これはフィリップ男爵と2度目の妻ポーリーヌ夫人による立案で、夫人は特に高い感性と独創性で知られた方です。
グラン・シェに隣接する同美術館は、ブドウとワインをテーマとした様々な時代の優品を所蔵しています。
1973年フィリップ男爵の長年の尽力により、1855年の格付評価の不当性が認められ、シャトー・ムートン・ロートシルトはプルミエ・クリュ・クラッセ(格付第一級)に昇格します。
当時の農業大臣ジャック・シラク署名のデクレ制定により、ムートンは、本来属するべきエリート集団への仲間入りを公式に果たしました。
1981年フィリピーヌ夫人は、フィリップ・ド・ロートシルト男爵のひとり娘です。「Mouton Rothschild – L’Art et l’Etiquette(ムートン・ロートシルト – 芸術とワインラベル)」巡回展は、夫人自らが企画運営し、プルミエ・クリュのラベルを飾ったアート作品の原画が一般に公開されています。
同コレクションは、これまで世界各国40以上の美術館で展示され好評をいただいています。
1988年フィリップ男爵の死後、フィリピーヌ・ド・ロートシルト(バロネス)男爵夫人は、子供たち3人(カミーユ、フィリップ、ジュリアン)とともに至宝ワイナリーを承継します。
これは同時に重大な責務を負うことを意味します。
人気舞台俳優としてのキャリアに終止符を打ち、演劇界を去り、父上の事業を継ぐ決断に迷いはありませんでした。
こうして、夫人はバロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長に就任しました。
1991年、シャトー・ムートン・ロートシルトは、エール・ダルジャンの初回ヴィンテージを発表します。
1980年初頭、ムートン・ロートシルトの畑内に7ヘクタールの白ブドウ畑(57%セミヨン、42%ソーヴィニヨン、1%ミュスカデル)が植樹整備され、その区画から生まれる上質な辛口白ワインです。
1993年フィリピーヌ夫人は、セカンドワイン、ル・プティ・ムートン・ド・ムートン・ロートシルトを販売します。
すぐさま市場の支持を得ます。通常は若株ブドウ樹を精選し、グラン・ヴァン同様に入念な造りのワインです。
2003年シャトー・ムートン・ロートシルトは150周年を迎えます。
慣例を逸し、フィリピーヌ男爵夫人はこの年のラベルを祖先ナタニエル・ド・ロートシルト(1812年〜1870年)に捧げます。
1853年5月11日にムートンの所有権を取得した人物です。ラベルにはナタニエル男爵の当時の肖像が飾られています。
背景にはドメーヌ購入証書。
この文書は現在もムートンの資料庫に大切に保管されており、ロートシルト家とボルドーのグラン・ヴァンを結ぶ、壮大な恋愛物語の幕開けを意味します。
2006年9月28日、ビバリーヒルズのクリスティーズで開催された競売に、1945年ムートン・ロートシルト12本が登場し、29万USドルで落札されます。
同じく同ヴィンテージのマグナムボトル6本は、34万5000USドルで落札されています。
1945年シャトー・ムートン・ロートシルトはこれにて「世界で最も高価なワイン」の称号を手にします。
2012年新醸造庫が誕生します。
舞台装飾家リシャール・ペドゥッツィとボルドーの建築家ベルナール・マジエールに建築統括が任され、フィリップ・ダリュアン(一族所有シャトー代表取締役社長)との協議の上、 設計・施工を手掛けています。
伝統と技術革新が見事に一体化した豪華設備で、2012年から実生産を開始しています。
併設のテイスティングルームからはブドウ畑の眺望が楽しめます。
2014年フィリピーヌ夫人は、ロートシルト一族企業および一族所有ワイナリーにさらなる輝きを与え、生涯をかけてその名声を高める努力を続けてこられました。
そして、完全なる近代化を果たし、見事に拡大整備されたムートンを残してこの世を去られました。
現在は、夫人の子供たち3人(カミーユ・セレイス、フィリップ・セレイス、ジュリアン・ド・ボーマルシェ)がシャトーの所有権を共有し、常に秀逸性の追求に尽力されたお母様の精神をしっかりと受け継いでいます。
この強い思いを軸として、3人さらなる固い絆で結ばれています。
これまで同様、優れた手腕を発揮し偉大なるプルミエ・クリュの運営を行なうべく、長女カミーユおよび次男ジュリアンは、バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長を務める長男フィリップの全面的サポートにまわっています。
このワインは
メドックの古くからの伝統を復活させようと、フィリピーヌ・ド・ロスシルド夫人は、1980年代初頭、ムートンのテロワールに数ヘクタールの白ブドウ品種畑を整備します。
砂礫質土壌には、ソーヴィニヨン・ブランあるいはソーヴィニヨン・グリ(56%)、セミヨン(43%)そしてミュスカデル(1%)が植えられています。
植樹密度は1ヘクタールあたり9000本です。
ワインは、50%はオーク材の新樽内で育成されます。
芳醇で、複雑性があり、かつエレガント。エール・ダルジャンは極めて少量生産ではありますが、ボルドーの上質辛口白ワイン愛好家からたちまち高い評価を得ています。
このワインの名前には、フィリピーヌ・ド・ロスシルド夫人にとって、かけがえのない思い出が詰まっています。
「エール・ダルジャン… 遠い遠い昔から伝わる、不思議な魅力のふたつの言葉、父フィリップ・ド・ロスシルド男爵と私を繋ぐ、過去と現在を結ぶ架け橋。私がまだ子供だった頃、父は私のために童話を作ってくれました。主人公は魔法のティーポット。山あり谷ありの冒険物語に私は夢中になって聞き入り、この童話に育まれてきた気がします。このティーポットの名前がエール・ダルジャン(銀の翼)でした。戦争が始まり、父は捕われます。監獄で、記憶をたどりながら、父はこの童話を本に仕上げ、「Aile d’Argent la Magique(魔法の銀の翼)」と名付けました。1947年にはガリマール社から出版されています。エール・ダルジャン… かつて私を夢の世界へと誘ったこの言葉が、今、ここに再び蘇る。幸せを感じます。」
2011年ヴィンテージ
2011年は、これまで過去40年間のうちで、最も暑く、最も日照量が豊富で、そして最も乾燥した年でした。
4月および5月から既に暑い日が続き、ブドウの植物生育サイクルはかなり早めにスタートしました。
花の時期は5月15日からと記録されていますが、これは造り手の記憶の中でも最も早い開花です。
果実の着色は平年に比べて2.5週ほど早めに始まっています。
7月および8月に天候は大きく変化します。
日照量はそれほどでもなく、かなり多湿な天候が続きました。
それでも8月末の時点で、1月1日以降の総降水量平年値519mmのところ、この年は326mmに留まっています。
9月初頭になるとメドック地方には再び夏らしい好天が戻り、9月12日から始まった2週間にわたる収穫作業は、晴れやかな天候の中で行いました。
この好天によってブドウ果実は絶好の条件のもとで完熟状態を得ることが出来ました。
収穫作業は9月28日に終了しています。
ムートンの収量はとりわけ低く、結果的にしっかりとしたストラクチュアと深み、そして見事な瑞々しさのあるワインに仕上がっています。
2011年は、ボルドーが生む古典的なスタイルのヴィンテージであり、優良な、恐らく桁外れに優良なヴィンテージのひとつとして分類されるでしょう。
テイスティング
セミヨンがソーヴィニヨン・ブランよりも多く含有されている面白い白ワイン。
バニラ、ナッツ、アプリコットなど私の鼻では判断しきれない複雑な香り。
ミネラル感があり後半苦みも感じます。
これは美味しいと思います。
飲んだ日:2014-08-08
飲んだ場所:エノテカ
価格:12,000円
インポーター:エノテカ