とても有名なルイ・ラトゥールの自社畑であるモンラッシェ

いつもの様に外人忍者に初めて飲ませていただきました。
しかもグラスはテイスティンググラスレベル…
それでもとてつもなく美味しかったのは言うまでもありません。

 

「拙者の師範が東京に来るから気軽な持ち込みのお店を2軒目に用意した。貴公に師範を紹介したいから同席してはどうか?」と外人忍者を呼んだところ「じゃあ適当なワイン持っていくから」という返事。
→当日ぶっ飛ぶ
といういつものパターン。

そうですか、貴公の適当なワインはルーミエとモンラッシェですか…

抱いて!(今年数回目)

ワインデータ

ワイン名:Montrachet Grand Cru モンラッシェ グラン・クリュ
生産地:France > Bourgogne > Côte de Beaune > Puligny Montrachet
生産者:Maison Louis Latour (メゾン・ルイ・ラトゥール)
品種:Chardonnay (シャルドネ)
スタイル:White wine

ルイ・ラトゥール/モンラッシェ グラン・クリュ1987

ワイナリー

ルイ・ラトゥールをご存知の方はかなり多いと思いますが、HPの歴史を訳して読んだ人はインポーターの担当者以外ではかなり少ないでしょう…
有名所なので日本語ページが欲しいです。


しかもよりによって年表タイプです。
自慢話が延々続くタイプですが、ばっちり訳していきますよ!(涙)

1731年ルイ・ラトゥール家はコート・ド・ボーヌでブルゴーニュ地方の最高のブドウ園を購入しました。
1749年ブルゴーニュ議会議長であるガブリエル・レボルトは、アロース・コルトンにシャトー・コルトン・グランセイを建設しました。
1768年ジャン・ラトゥールはアロース・コルトンに移りアロース・コルトン レ・シャイヨ、コルトン レ・グレーヴ、コルトン ブレッサンドの買収により、このアペラシオンで大規模な土地を開発し始めます。
1797年メゾン・ルイ・ラトゥール創設。
1815年ルイラトゥールのワイン「ヴィーニュ・オー・サン」は初めてイギリスに輸出されます。
1830年アロース・コルトンのコルトン・グランセイ貯蔵庫の建設がスペイン南部アンダルシア州コルドバの侯爵によって始まりました。
ムルソー・ペリエールに近い場所は、以前は収穫物の保管に使用されており、「ヴァンダンジュワール」と名付けられ、貯蔵庫はは1834年頃、侯爵の義理の息子によって完成されました。
1860年ルイラトゥールのドメーヌは10ヘクタールに達します。
メゾン・ルイ・ラトゥールのワインは、米国、ジャワ、ブエノスアイレス、ブカレスト、ブリュッセル、ロンドンなどに国際的に輸出され、イギリス、オーストリア、ロシアの王たちはそのワインを楽しみました。

19世紀半にはルイラトゥールは王室への供給元となりました。
160年間トゥルーンとタクサス家、バイエルン裁判所、ヴェルテンベルク王、ブルガリアの王侯、デ・サクシー・コーブルク将軍、ラズウィル王女などに供給しておりました。
1867年メゾン・ルイ・ラトゥールはネゴシアンになることでオーナーシップ活動を拡大し、当時のボーヌにオフィスを設立しました。
それ以来、ルイラトゥールは革新のための姿を見せ始め、新しい醸造と販売技術を開発しました。
新鮮さと優雅さを保つために、ほとんどのワインは樽からボトルに入れられます。
1870-1931年カリフォルニアからのアブラムシであるフィロキセラは、フランスのブドウ園のほとんどすべて、特にブルゴーニュを壊滅させました。
すべてが失われる前にルイ・ラトゥールは病気との戦いに参加することに決め、ぶどう園の伝統を維持しながら損傷した葡萄を再度植え始めました。
1891年アロース・コルトンのシャトー・コルトン・グランセイが所有していた33ヘクタールのブドウの取得。
そのうち15ヘクタールはコルトン・グラン・クリュであった。
1891-1900年アリゴテはフィロキセラによって壊滅させられたので、コルトンの南に位置するアリゴテとガメイのブドウ園にシャルドネを植えられることが5代目当主によって決定されました。
これがコルトン・シャルルマーニュの始まりです。
ルイ・ラトゥールの5代目の署名は、今日でもグラン・クリュのラベルに掲載されています。
ルイ・ラトゥール/モンラッシェ グラン・クリュ1987
1900年コート・ド・ニュイで最も有名なグラン・クリュであるロマネ・サン・ビヴァンやシャンベルタンなどを取得し、パリ万国博覧会でワインが初めて提供されました。
1913年ルイ・ラトゥールは、別の大きなブルゴーニュ・ドメーヌと一緒に、グラン・クリュ・シュヴァリエ・モンラッシェ・レ・ドゥモワゼルを平等に共同買収する。
この購入でメゾン・ラトゥールはより有名なトスという区域を獲得しました。
1918-1945年第二次世界大戦中ドイツへの輸出を中止します。

20世紀になると新しい顧客は、モンテカルロのホテル・ド・パリ、ジュネーブのボーリヴァージュ、パリのリッツなどの新しく豪華なホテルやトップレストランになりました。
国際的な評価を獲得し、ルイ・ラトゥールは強力で有名なブランドとして位置付けていくユニークな戦略で急速に拡大しています。
1931年若手農業技術者であるルイ=ノエル・ラトゥールは、フィロキセラ耐性を持つアメリカの根茎にピノノワールを移植すると、非常に高品質のワインが生産できると宣言しました。

70年代の近代化と技術開発の探求で、ルー・ラトゥールは近代的な施設をボーヌ郊外のクロ・シャムロワに建設しています。
この生産現場では、ワインの生産と研究のさまざまなステージがすべて見られ、今日では白ワインのボトリングとラベリングライン、印刷事業、貯蔵庫も併設しています。
1979年アルデシュ県でブルゴーニュのノウハウを輸出し、高品質のシャルドネを生産しています。
1985年グラン・アルデシュの最初のヴィンテージ。
1986年米国子会社ルイ・ラトゥールIncが輸入開始。
1989年ルー・ラトゥールは、アルデシュで成功し、ヴァールにピノ・ノワールを植え、ドメーヌ・ド・ヴァルモワシンを設立しました。
1990年英国子会社であるルイ・ラトゥールLtdのロンドン進出。
1997年エノキアン商会(1981年に設立された経済団体で、家業歴200年以上の企業のみ加盟を許される老舗企業の国際組織)の一員であるメゾン・ルイ・ラトゥールの200周年で、少なくとも二世紀に渡って創設家族が所有している稀有な家族所有の企業グループとなりました。
1998年ドメーヌ・ルイ・ラトゥールは、持続可能なブドウ栽培へのコミットメントの先駆けであり、生物学的手法で管理されたブドウ栽培に向けて働く、ファー・ファーム・サーキット(Forum de l’AgricultureRaisonnéeRespectueuse de l’Environnement)の一員となりました。
1999年ルイス・ファブリス・ラトゥールが第7代当主になり、11世代目となりました。
ルイ・ファブリスは、すでに確立されている伝統的な方法と現代の方法を組み合わせながら、家族の伝統を維持したいと考え伝統は世代ごとに革新しています。

2002年アルデシュのシャルドネとヴィオニエのブレンドの開始。
熟成シャルドネとヴィオニエとを結びつけて生産されたユニークなワインで、それらはプレスの前に一緒に持ち込まれ、その後ブレンドされたジュースは伝統的な方法で醸造されます。
2003年国際的なISO 14001環境認証:これは、完全なトレーサビリティを有する厳しい基準に従って、環境に対するワイン生産活動のあらゆる結果を公表します。
2003年クレマン・ド・ブルゴーニュとシャブリのスペシャリストであるヨーン地方のメゾン・シモネ・フェブルの買収。
2008年メゾン・アンリ・フェッシの買収。
ボジョレーとマコンのワイン生産のプロフェッショナルであり、70ヘクタール以上の素晴らしいクリュから成っています。
2011-2012年アロース・コルトンにある歴史的な貯蔵庫の改装
2013-2014年アロース・コルトンのシャトー・コルトン・グランセイの改装。

ルイ・ラトゥール/モンラッシェ グラン・クリュ1987

テイスティング

香りは完全に蜂蜜、そして黄金色。
年代を鑑みてもこれはパワフル。
これは飲まないとわからない美味しさ。

ルーミエと一緒に飲んでも赤と白の違いはあれど衝撃の美味しさでした。

飲んだ日:2014-05-11
飲んだ場所:南部鉄酒場 豚バルBYO 神田店
価格:80,000円