日本ワインは避けてきた人生でしたが、最近高齢による死期を悟り性格も丸くなり、日本ワインにもチャレンジを始めました。

思ったよりもレベルが高くなってきており、色々飲むのが楽しくなってきております。

 

ワインデータ

ワイン名:La Feuille Trésor Taru Minaminoro Bairey A
生産地:Japan > Yamanashi
生産者:まるき葡萄酒株式会社 (Maruki Winery)
品種:Muscat Bailey A (マスカット・ベーリーA)
スタイル:Red Wine

ワイナリー

明治10年「まるき葡萄酒」の創業者・土屋龍憲は、ワイン醸造技術習得の為日本人で初めてフランスに渡りました。
そこで龍憲はフランスの栽培・醸造技術、フランス料理とのマリアージュに大きな感銘を受け、不眠不休で栽培法、醸造法の習得に励みました。
帰国後、彼は日本固有種である甲州ぶどうを用いた日本ワインにこだわり、みずから勝沼葡萄酒の開懇と栽培の研究を行いました。
「フランスワインがフランス料理に合うように、甲州ぶどうが和食に合わないはずがない」。
これが龍憲のぶどうにかける想いでした。この想いを支えとして、大水害、緊迫する社会情勢といった数々の困難に見舞われながらも、龍憲はワイン醸造を続けたのです。

まず最初は、ミルマ市小学校でフランス語を学び、次にデハルトマンオーブ郡のトロワ市の、シャルル・バルテー氏の農園で、栽培方法を学ぶ。
さらに、モーグー村のジュポン氏の農園で、葡萄栽培と葡萄酒造法を学び、勉強をさらに約半年延長してもらうと、ビールの製法やシャンパンの製造法を学んで学業を終え、明治12年3月マルセーユ港を出航、5月8日無事に横浜港に帰り着く。
ただ、帰国の際、勝沼へ持ち帰ろうとして栽培していた、ヨーロッパ系葡萄苗木がフィロキセラ(病虫)に侵され、遺棄。

1891年(明治24年)に「マルキ葡萄酒」を設立、自宅の醸造所を土屋第一洋酒店とし、甲府の常盤町に土屋第二商店を設け、生葡萄酒「第一甲斐産葡萄酒」、甘味葡萄酒「サフラン葡萄酒」を販売。

明治25年、新潟県北方村の川上善兵衛(マスカット・ベーリーAの開発者、日本ワインの父)が葡萄酒醸造業を興そうと、研究のために土屋家を訪ねてきた。
土屋家では川上善兵衛を家に泊めて歓待し、知っている限りの醸造方法を伝授したといわれています。

明治28年、第四回内国勧業博覧会には、自社の赤・白葡萄酒を出品し有功賞を受賞しました。
その後、明治30年代に入り、トレード・マークのマルキ印、まるき葡萄酒の販売を開始しました。

日本は軍事主義へ向かって、一路ばく進していた時代であり、国産葡萄酒は将兵の重要な医薬品として扱われていましたが、土屋合名会社では明治27年の日清戦争の時代から陸海軍の将兵をはじめ、各地の救護団体に対してマルキ葡萄酒を寄進しており、日露戦争・第一次欧州戦争にも計5500本もの葡萄酒を寄贈してその名を売りました。

このワインは

笛吹市南野呂地区の完熟ベーリーA使用。
特別なテロワールで栽培された完熟葡萄の官能的なアロマと凝縮した果実味、上質な酸のバランスが秀逸。
12カ月間、オーク樽熟成による緻密で滑らかなタンニン、絶妙なバニラや心地よいトースト香と深く長い余韻。
すべてがバランス良く融合したエレガンスの極み。

笛吹市一宮町南野呂地区は、桃の産地一宮において葡萄栽培が盛んな土地です。
その土地であえて収穫時期を遅くし、完熟葡萄のみで醸造を行っています。
さらにセニエ(フランス語で「血抜き」を意味し、果皮に浸した状態からワインだけを抽出することから名付けられたもの)を行うことで、ボディの厚みと濃縮された香りを引き出しました。
また、アメリカンオーク樽との相性の良さを加味し、アメリカンオーク樽での熟成比率を高くすることや、新樽だけではなく古樽を用いることでまろやかな樽香、滑らかな味わいと深いコクが感じられる仕上げりとなりました。

テイスティング

薄い赤紫色。
キャンディーやチェリーの甘い香り。
最初にボルドーグラスで飲んだが、香りと味がちぐはぐで幅広のグラスに変えてもらった。
幅広グラスの角の無い口当たりの方がこのワインには適合している。
下手な醸造所が作るベーリーAの渋みと突出した酸などがなく、丁寧に作られているのが分かる。
可能性を感じさせる日本赤ワイン。

飲んだ日:2021-12-11
飲んだ場所:switch
価格:3,355円

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