お髭のオジサマが印象的で、日本でも知名度が結構高いビールですが、1996年からハイネケンに買収されています。

IPAはイタリアン・ペール・エールでした。
インディアンじゃないのか…

 

ビアデータ

ビール名:IPA
生産地:イタリア フリウリ州
生産者:Birra Moretti
アルコール:5.2%
IBU(苦さ 平均15~20):35
モルト:
ホップ:
価格:400円
インポーター:モンテ物産

ブルワリー

1857年創業
ルイジ・モレッティの “ビールと氷の工場 “は、100年以上前にフリウリ地方のウディネに設立された。
当時のウディネは、1350年頃に地元住民によって築かれた石造りの城壁に囲まれた、のんびりとした小さな町だった。
その古い城壁の中で、ウディネの人々は何世代にもわたって商業と職人仕事に励んできた。
それはイタリア統一の重要な時期にあった。

この地域全体はまだオーストリア=ハンガリー帝国に併合されており、街では愛国的な反乱が頻発していた。
ウディネを見下ろす城にオーストリアの守備隊が駐屯し、中央広場に大砲が置かれていたのは偶然ではない。

当時37歳だったルイジ・モレッティは、サンマルティーノとソルフェリーノの有名な戦いと同じ年に、確信と自信をもって将来を見据え、醸造所を建設することを決意した。

裕福な商人の家系に生まれたルイジ・モレッティは、当時すでに穀物、ワイン、スピリッツ、食料品、そして当然のことながらビールなどの卸売取引に精通していた。
彼の小さな工場が設立された当時、その創設者は、この工場が将来どのように発展していくかを想像することはできなかったに違いない。

ビッラ・モレッティの最初のボトルは1860年の夏に販売された。
現在のボトルとは少し違っていたとしても、製品の品質は確かに変わっていない。

当時使われていた機械は、当時としては非常に先進的なものだった。
1990年代以降、ビッラ・モレッティは、フリウリのビールから全国的に販売されるビールへと成長し、常に新しいファンを獲得していった。

1942年のある日、ルイジ・モレッティの甥は、ウディネのトラットリア・ボスケッティのテーブルに座っている愉快そうな男を見かけた。
その男には独特の雰囲気があった。
彼はどういうわけか、彼のビールの真の価値観、すなわち信頼性、伝統、真正性を体現していた。

やがてモレッティ氏は彼に近づき、写真を撮らせてくれないかと頼んだ。
その男性に見返りを求めると「ビッラ・モレッティのビールをもう1杯だけくれ」と。
その日以来、ビッラモレッティのラベルにはその男性の写真が貼られ、私たちがどこから来て、誰のためにビールを造っているのかを思い出させてくれる。

この広告がビッラ・モレッティの小売店に送られたとき、多くの人が口ひげを生やした酒飲みに見覚えがあると思った。
何年もの間、口ひげを生やした男の役はさまざまな俳優によって演じられ、1970年代には、ブルーノ・ボツェットという有名な芸術家までもが、ラベルの男を主人公にした一連の漫画広告を制作し、信頼できるビラ・モレッティのジョッキとともに登場させた。

今日、ビッラ・モレッティはアメリカ、イギリス、カナダ、日本を含む世界40カ国以上に輸出され、重要な国際的賞を受賞している。
2006年、ビッラ・モレッティは、ビール業界で最も重要な国際コンペティションであるワールド・ビア・カップにおいて、金メダルと銀メダルの両方を受賞した唯一のイタリアブランドである。

同時に、南半球のハイレベルなコンペティションであるオーストラリア・インターナショナル・ビア・アワードでも5つのメダルを獲得しており、ビッラ・モレッティ・ビールの品質の高さを裏付けている。
ビッラ・モレッティ・グループにとって、これらの受賞は間違いなく勝利であり、特に、通常ドイツやアメリカのビールが独占するカテゴリーでトップに立った唯一のイタリアビールである。
そしてもちろん、物語は続く…

このビールは

イタリアン・ペールエール。
典型的なフローラルなアロマ、ハーブのニュアンス、柑橘系の香り。
バランスのとれた味わい。

テイスティング

濁りブラウン。
甘いホップの香り。
苦味しっかりで炭酸強い。
モルトの味わいが結構強い。

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