医療忍術の師匠が「なんかうめえワイン持ってきてやる」と言って持ってきたのがこのDRCのグラン・エシェゾー。
飲んだ頃は11万円くらいでしたが、現在は倍以上の価格になっていてびっくり。
ワインがある意味株よりも確実に儲かる投機ビジネスというのも理解できます。
ワインデータ
ワイン名:Grands Échézeaux
生産地:France > Bourgogne > Côte de Nuits > Flagey-Echézeaux
生産者:Dom. de La Romanée Conti (ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)
品種:Pinot Noir (ピノ・ノワール)
スタイル:Red Wine
ワイナリー
1869年以来、2つの家族、1つのワイン
ジャック・マリー・デュヴォー(1789-1874)はソフィー・ブロシェと結婚しました。
彼はサントネイに設立されているぶどう畑の所有者かつ収穫人でありワイン商でもあり、コート・ドールの評議員です。
ワイン醸造研究者として彼はブルゴーニュの最も有名な人物の1人です。
彼の人生の夢は1869年、79歳で彼はロマネ・ コンティを取得したことから叶い始めました。
彼が亡くなったとき、ブドウ畑は、彼が形成した広大なワイナリーの残りの部分と同様に半分に分割されましたが、娘のクロウディン・コンスタンツ・マーシンとアンリエット・デュピュイの間では分割されませんでした。
未亡人(1883年)になったクロウディン・コンスタンツは、彼女の叔母、アンリエット・デュピュイ(1885年)の娘のガブリエル・シャンボンに畑を譲り渡しました。
アンリエットが亡くなったとき(1887年)、直接相続人がいませんでしたが、ブドウ畑は彼女の妹と彼女の姪に譲渡されました。
それがジャック・シャンボン(1889-1969)とヴィレーヌ生まれのマリー・ドミニク・ゴーダン(1883-1915)、ガブリエル・シャンボン(1857-1903)の子孫であるジャック・マリーの曾孫デュヴォー・ブロシェです。
※デュヴォー・ブロシェはその功績からDRCヴォーヌ・ロマネの畑名になっています。
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ヴィレーヌのゴーダン一族は現在、ロマネ・コンティ社の半分を所有しています。
エドモンド(1881-1950)、アンリ(1909-1998)、オーベールは、子孫の家族や共同相続人を代表しています。
相続人には今日、孫、曾孫、その孫であるアンリと夫であるアンリ・ジノビエフ、彼の兄弟であるジャン(1910-1975)、シモーヌ・マリー・ド・フランスの夫がいます。
ジャック・シャンボンは1942年、彼の娘ポーリーヌ・ロシュ(1929-2009)とマルセル(ラロワ)ビーズが管理しているオーセイ・デュレスの所有権と収穫ワインを、アンリ・ルロワ(1894-1980)に売却しました。
最初は3人の子供、チャールズ(1957-1992)、イザベルとアンリ・フレデリックがいます。2番目にの女の子であるペリーヌ・フェナルがいます。
監督委員会(各家族の代表者:アンリ・ド・ヴィレーヌとポーリーヌ・ロシュが1990年〜2000年の間、今日はアンリ・ド・ヴィレーヌとペリーヌ・フェナル)の管理下で、ワイナリーは2つのマネージメント・パートナーであるオーベール・ド・ヴィレーヌとラロー・ビーズ・ルロワ が1974年から1991年にかけて、オーベール・ド・ヴィレーヌとチャールズ・ロシュが1992年にアンリ・フレデリックの死後にその任に就いている。
このワインは
エシェゾーの前に「素晴らしい(Grands)」が付きます。
素朴で夢を見ている貴族で、匂いに満ちた森の中を馬のゆっくりとしたペースで楽しく歩きます。
コケ、枯れ葉、土鉢、ジビエ…
これらすべては、モーツァルトのカルテットのメッセージのように、洗練された音楽的で簡潔で純粋な言葉で、「感情を持って」表現されています。
テイスティング
開けた瞬間からバニラの香り、チェリー、イチゴやベリーの香りが凄い。
かなり余韻が長く、飲んだ後も口腔内はベリーの香りでいっぱいです。
一緒に飲んだパルメもオーハイも凄かったのですが、私の一番はDRCでした。
しかしワインにそれほど関心のない恩師とご内儀殿はそれぞれ一番良かったのはDRC以外でしたので、いかに自分が拝金主義で資本主義の豚なのかがよくわかりました。
飲んだ日:2014-05-11
飲んだ場所:ミニョレット(閉店)
価格:300,000円
インポーター:Jalux