2008年までルフレーヴの醸造長だったピエール・モレイが1992年から始めているネゴシアン部門のモレ・ブラン。

お値段がこなれているのに作りはしっかりという素晴らしいワインが多い。

ワインデータ

ワイン名:Meursault
生産地:France > Bourgogne > Côte de Beaune > Meursault
生産者:Maison Morey Blanc (メゾン・モレ・ブラン)
品種:Chardonnay (シャルドネ)
スタイル:White Wine

ワイナリー

モレ家の歴史は少なくとも16世紀に遡ります。先祖代々ブドウ栽培とワイン造りに携わり、1793年、それまで定住していたシャサーニュ・モンラッシェからムルソーへと移住しました。

ピエール・モレの父、オギュスト・モレは、若手営業マンとして数ヶ月間製薬会社に勤務した後、1935年、ドメーヌ・デ・コント・ラフォンの分益小作人へと一念発起したのでした。

1929年の世界恐慌以来ワイン業界の経済は大きく落ち込み、ヴィニュロンたちは収支を合わせるのに苦労していました。
ドメーヌ・デ・コント・ラフォンの総計14ヘクタールの畑はそういった状況下9人の小作人たちに分配されていきました。
ブドウ樹は古く、区画の幾つかは植え替えの必要がありましたが、ペリエール、ジュヌヴリエール、シャルムといった、ムルソー随一の格を誇る理想的テロワールの畑だったのです。

1971年末、ピエール・モレがドメーヌで働き始めたのを期に、オギュスト・モレは畑の分益小作権を徐々に息子に譲っていきました。
こうして彼は、ラフォン家、ポワリエ家、モレ家のメタヤージュの畑のブドウ栽培とワイン造りに従事するようになりました。

1984年、ラフォン家が自身でブドウ栽培をしようと決意し、それまで委託していた畑を少しずつ回収し始めました。
そこでピエール・モレは、例えば1986年には一部のムルソー・シャルムを、1991年収穫後にはモンラッシェを、分益小作権に終止符を打ちラフォン家に返還しなければなりませんでした。

同じ頃、ピュリニー・モンラッシェのドメーヌ・ルフレーヴで技術責任者を担うジャン・ヴィロ氏を引き継ぐため、ピエールはルフレーヴで働き始めました。

ジャン・ヴィロ氏は1989年末に正式に引退し、一年かけてゆっくりと技術を引継いだピエール・モレは、ドメーヌ・ルフレーヴの技術責任者に着任しました。

こうしてピエール・モレは1988年から2008年7月迄の20年間、自身のドメーヌワインと、補填的に起こしたネゴシアン・エルヴール部門、さらにドメーヌ・ルフレーヴの技術総責任者(畑およびセラー)とに、平行して取り組んだのでした。

1991年からピエール・モレは自社畑で有機栽培を始め、早くもビオディナミのプレパラシオンを幾つか実施していきました。
1997年末にはドメーヌ全体を完全にビオディナミに移行。
ちょうどこの頃、父と共に娘のアンヌが共同経営責任者としてドメーヌに従事するようになりました。

ピエールとアンヌのドメーヌは総計約11ヘクタールにのぼり、ムルソーを中心にモンテリー、ポマール、ピュリニー・モンラッシェの村々に点在します。
1992~1997年にかけてこれら全ての畑で有機栽培を導入し、同時にビオディナミを実施してきました。

分益小作権の幾つかが満了し3つの高貴なアペラシオンを失ったのを機に、1992年、ドメーヌ部門を補填する目的で商事会社メゾン・モレ=ブランを設立しました。

メゾン・モレ=ブランでは、どのアペラシオンに関しても非常に優秀なブドウ栽培農家の元で購入し、ブドウであろうとマストであろうと受領前に厳しい品質チェックを行います。
そしてモレ家の伝統手法に基づいて自らの手で醸造し、熟成させています。

このワインは

ヴィンテージ:1990年から
異なるクリマのブレンド(ヴィンテージによって変わることがあります)
ムルソーの典型的なアペラシオンであるこのワインは、繊細さ、ミネラル感、フルーツのアロマ、そして長いフィニッシュが特徴です。

テイスティング

年代物で、非常に深みを感じる白。
青リンゴの様な香り。
フレッシュで密の様な香りにならないのがムルソーなのか。
旨味。
お値段以上の美味しさだと思う。

飲んだ日:2015-07-08
飲んだ場所:ビストロケー
価格:7,000円
インポーター:ヴァンシュールヴァン

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