多摩地域以外では中々見かけない豊田ビール

東京に住んでいても豊田駅周辺には行く機会も少ないと思います。
昔からビールを作っていたとはつゆ知らずですが、飲んでみればすべてはわかります。

 


ブリュワリー

明治19(1886)年、日本が近代国家へと歩みを進める中、豊田の山口平太夫によってビールが造られました。
平成25年度に行われた発掘調査と蔵の調査で、煉瓦造ビール貯蔵所の跡や当時のビールラベル、そしてビール貯蔵所を写した写真乾板(撮影されたのは大正期で、その時は蔵として再利用されていた)が発見されました。

明治維新を経て日本が近代国家への歩みを始めると、日野市内でも時流を敏感に感じ取りながら、明治10年(1877年)頃より養蚕業の急激な発展がみられ、同16年には日野銀行が開業し、明治20年にはJR中央線の前身である甲武鉄道の建設に伴い、建設資材の煉瓦を製造する日野煉瓦工場が設立されるなど、各種の近代産業が産声をあげました。
中でも、「豊田ビール」は、まさに日野を代表する近代産業の一つであり、多摩地域でも初めてのビール醸造でした。

明治時代のラベルは2種類見つかっています。
その内の1枚の最下部には「知新堂石印」の文字を見ることができます。
「知新堂」は当時印刷業が盛んだった京橋区(現・中央区京橋)にあった石版印刷所でした。
「石印」とは、石版印刷(リトグラフ)の略で、明治時代には石版多色刷りのポスターが多く作られていました。このラベルも石版印刷らしい精密なデザインが施され、数色のインクで刷られています。

ビールそのものはもとより、そこに貼られたラベルに至るまでも、ここ日野にあって時代の最先端を行っていたのです。
蔵の中から、大正時代に撮影された歴史的にも貴重な約200枚にものぼる写真乾板も発見されました。
これらの資料は、幕末に新選組を生み出した日野ならではの何かを成し遂げようとする強い意志、 そして新しい時代に果敢に挑もうとする革新性と柔軟性を兼ね備えた、まさに「日野人気質」を 象徴するものです。

このビールは
明治時代当時の醸造を記した資料は残っておらず、当時の新聞広告に「獨逸醸造法」という表記があり、ドイツスタイルで造られていたであろうという事から想像しラガータイプの製法で醸造しています。
麦芽の香味と、爽やかなホップの苦みのバランスがとれた深い旨味とコクが特徴です。

下面発酵で低温で、ゆっくりと約ひと月かけて醸造するTOYODA BEERは、麦芽を4種類使い旨味を引き出し、一部ローストした麦芽を使用する事で深いコクと香味を生み、喉越しにはホップ由来のフローラルな香りが広がり余韻を楽しむ事ができます。

明治の頃にはどう造っていたのか、どのような苦労や喜びがあったのかなど当時の日野人達の思いに浸り、当時の味を想像してみてはいかがでしょうか。

テイスティング
濃い飴色。
甘い焙煎香。
苦味は強くない。
香りが後から出てきたので、キンキンに冷やすより温度がやや高い方が香りを感じながら飲めそう。