ワインのインポーターで有名な徳岡が輸入している発泡酒。

甘味が強すぎて自分の好みではなかった…
ドライじゃない発泡酒が好きな方にはおススメできる。

ビアデータ

ビール名:BEL MALT GOLD
生産地:ベルギー
生産者:BROUWERIJ MARTENS
アルコール:6%
IBU(苦さ 平均15~20):
モルト:
ホップ:
タイプ:発泡酒
価格:120円
インポーター:徳岡

ブルワリー

ベルギーの都市ボコルト、1758年3月20日。
アドリアン・ギールケンと彼の妻イザベルが宿「デ・スター」をオープン。
アドリアンはビールを一人で醸造して宿で出しています。

自分の宿のために醸造するだけでなく、地域の農家のためにビールも醸造しています。
農民は材料を醸造所に持ち込み、それらを有料でビールに変えます。

彼は1783年に亡くなり、妻は宿と醸造所を経営し続けてました。

1792年にアドリアンの娘カタリーナ・エリザベスはジャン・ローラン・シュライバーズと結婚します。
一緒に彼らは宿と醸造所を引き継ぎます。
醸造所の所有者に加えて、ジャン・ローランは長い間ボコルトの市長でもありました。

マルテン家は1823年に初めて登場しました。
ジャンの娘アンナ・イザベラは、その年にテオドルス・マルテンと結婚しました。
彼らは醸造所と宿を引き継ぎます。

運河の完成など様々な経済発展により、この時期に自治体は繁栄しました。
醸造所と宿もその恩恵を享受しており、ますます反映しました。

1852年に息子のフラン・マルテンが全てを引き継ぎます。
新しい法律のために多くの賃金醸造所がその年に閉鎖しなければならなくなり、フランはすぐにボコルトの外でビールを売る機会を得て、成功を収めました。
その成功により、醸造所を近代化しました。

十分なスペースを確保するために、フランは場所全体を通りの反対側に移動します。
それは、醸造所が今日も立っているところです。
フランは、有名なセゾエンビアとボコルターを開発する醸造家でもあります。

この醸造所は、1888年から1923年までジャン・マルテンが所有していました。
彼は醸造所を拡大し続けていますが、それは必ずしもスムーズに進むとは限りませんでした。
20世紀の初めは、醸造所にとって困難な時期です。
第一次世界大戦後、多くの醸造所は閉鎖しなければなりませんでした。
それにもかかわらず、マルテン醸造所は、運河や鉄道でさらに多くのビールを販売することができたため、成長を続けることができました。
第一次世界大戦中、ドイツ人は醸造所を中央醸造所と呼んでいたため、戦争中も活動を続けることができました。

1923年、フラン・マルテンが醸造所を第6世代として引き継ぎます。
彼の前任者のように、彼は革新を非常に重要視しています。
たとえば、彼はボトル入りビールの販売を開始します。
さらに、彼はまた、1929年に醸造所の最初の下面発酵ビールをリリースしました。
フランの下で、醸造所は第二次世界大戦が強制的に操業停止するまで着実に成長し続けました。

しかし、それから彼はただ成長を続けます。
彼は、とりわけより広い販売エリア、近代的な醸造所、研究所のための投資しています。

1952年、フラン・マルテンは会社を息子のジャンとジェラール・マルテンに引き継ぎました。
今後、醸造所も正式に「マルテン醸造所P.V.B.A」になります。
ジャンとジェラールは、醸造所の近代化と拡大を急速に続けています。

現在、醸造所はフォンとジャン・マルテンが所有しています。
この第8世代は、醸造所を国際的なレベルに引き上げました。
彼らの強みは、長い歴史とテクノロジーへの情熱の組み合わせにあります。
明確な戦略と自社ブランドの再配置を念頭に置いて次の世代のために完全に準備ができています。

このビールは

ベルモルトは、下面発酵法で醸造したラガータイプの新ジャンルです。
新しいベルモルト・ゴールドは、より深い味わいとコクを追求するためレシピを刷新、大麦、麦芽の使用比率を上げ、麦汁の品質を向上させています。

また熟練のブラウマイスターが種々の醸造発酵条件を見直したことも見逃せません。通常よりもやや高めの温度で発酵させることで、上面発酵をしたようなフルーティーで上品な香りを醸し出し、コクとキレ、そして旨みが格段に向上した新しいベルモルト・ゴールドの誕生に至りました。

テイスティング

黄金色。
砂糖系甘いモルトの味わい。
ホップはある様な?しかし甘い香りがかなり支配的。
余韻にも甘い味わいが長引く。
うーん全然好みじゃない。

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