2009年ヴィンテージからミュニュレ・ジブールとジョルジュ・ミュニュレが悪魔合体してジョルジュ・ミュニュレ・ジブールに。
このワインはそれ以前の物なのでジョルジュ・ミュニュレの名前だけ明記されています。
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ワインデータ
ワイン名:Nuits Saint Georges 1er Cru Les Chaignots
生産地:France > Bourgogne > Côte de Nuits > Nuits Saint Georges
生産者:Dom. Mugneret Gibourg et Georges Mugneret (ドメーヌ・ミュニュレ・ジブール ・エ・ジョルジュ・ミュニュレ)
品種:Pinot Noir (ピノ・ノワール)
スタイル:Red Wine
ワイナリー
1930年にヴォーヌ・ロマネに居を構え、現在は3代目のマリー・クリスティーヌとマリー・アンドレが、ブドウとワインへの情熱を共有しながらドメーヌの運営を行っています。
ミュニュレは、コート・ド・ニュイ、特にヴォーヌ・ロマネのワインメーカーの間ではよく知られた名前で、何世代にもわたって存続している。
「ムニエ」が語源で、「ミュニュレ」は地方名である。
ジブールという名前は、ソーヌ川の平野部、穀物農家の間に由来している。
1930年にヴォーヌ・ロマネに移住し、現在は3代目のマリー・クリスティーヌとマリー・アンドレが、ブドウとワインへの情熱を共有しながらドメーヌを運営しています。
ジャンヌ・ジブール(1906-1997)は1928年にアンドレ・ミュニュレ(1905-1986)と結婚し、1933年に二人でドメーヌミュニュレ・ジブールを設立しました。
彼らはブルゴーニュ・ルージュ、ヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サン・ジョルジュ、エシェゾー・グラン・クリュを生産していました。
一人息子のジョルジュ・ミュニュレ(1929-1988)は、ディジョンの眼科医でしたが、医学のキャリアと並行して家業を継ぐことを決意し、次々と畑を購入し、家業を拡大させました。
1953年にクロ・ヴージョのグラン・クリュ、1971年にニュイ・サン・ジョルジュの1erクリュ、1977年にルショット・シャンベルタンのグラン・クリュ、1982年にニュイ・サン・ジョルジュの1erクリュ、レ・ヴィーニュ・ロンド、1985年にシャンボル・ミュジニーの1erクリュ、レ・フォセロットと、次々と区画を購入し、ドメーヌを拡大、強化していきました。
こうして、ドメーヌ・ジョルジュ・ミュニュレが誕生したのです。
ジョルジュは、1958年、アルジェリアでの従軍中に、後に妻となる学校教師のジャクリーヌと出会いました。
フランスに帰国後、二人は結婚しマリー・クリスティーヌとマリー・アンドレという2人の娘をもうける。
1988年、ジョルジュ死去。
クリスティーヌは、ワイン醸造を専門にするために化学者の職を辞しました。
母親と一緒にワイン造りの活動を引き継ぎました。
アンドレは、ディジョンのブルゴーニュ大学で醸造学の学位を取得し、数年後に彼らの仲間に加わりました。
2009年、ドメーヌ・ミュニュレ・ジブールとジョルジュ・ミュニュレが合併し、ドメーヌ・ミュニュレ・ジブール ・エ・ジョルジュ・ミュニュレが誕生しました。
同年、ジャクリーヌは引退し、現在はクリスティーヌとアンドレの2人の姉妹がドメーヌを率いています。
一族の歴史は繰り返される。
クリスティーヌとアンドレにはそれぞれ2人の娘がいるのだ。
ドメーヌは母から娘へ受け継がれるのかもしれない。
このワインは
テロワール
褐色の石灰質土壌で、粘土はほとんどなく、傾斜のある小石の多い区画です。日当たりは東向きです。
原産地
「シェニョ」の語源は、古いフランス語で「シェネ=chêne」(オーク)を意味する「シャネ=Chasne」で、もともとこの辺りにはオークの木があったことを意味します。1971年にジョルジュ・ミュニュレがこの区画を購入しました。
熟成
このワインの豊かな味わいは、若いうちから楽しむことができますが、瓶詰め後5年から10年保存できる可能性も秘めています。
テイスティング
ルビー色。
熟成感のあるダシの香りが少し。
ベリー、イチゴの香り。
酸とタンニンは落ち着いており、年月を感じさせる。
もう少し早く飲んでも良かったのかもとは確かに思わせる。
飲んだ日:2022-04-01
飲んだ場所:ビストロ 集
価格:24,000円(EU圏で180ユーロ程度)
インポーター:ラックコーポレーション