飲んだワイン シャトー・ムートン・ロートシルト1998 10点

最終更新日

いつもの様に友人の外人忍者が持って来てくれた貴重なワイン。

人生のうちで一番ダメだったのが、3人で飲んで5本目くらいにこのワインを開けてしまったことでしょう。
それでも酔った脳味噌に衝撃が来る美味しさだったのは流石でした。

ワインデータ

ワイン名:Ch. Mouton Rothschild
生産地:France > Bordeaux > Haut Médoc > Pauillac
生産者:Baron Philippe de Rothschild (バロン・フィリップ・ド・ロートシルト)
品種:Cabernet Sauvignon (カベルネ・ソーヴィニヨン), Merlot (メルロ), Cabernet Franc (カベルネ・フラン), Petit Verdot (プティ・ヴェルド)
スタイル:Red Wine

ワイナリー

18世紀、ムートンの畑は、ラフィットやラトゥール同じく、「葡萄の王子」との異名を取ったニコラ=アレクサンドル・ド・セギュール侯爵の所有にありました。その後、ド・ブラーヌ男爵が所有権を獲得し、ブラーヌ=ムートンと命名。1853年、名家ロスシルド家のイギリス分家に属するナタニエル・ド・ロートシルト男爵が所有権を取得し、現在のシャトー・ムートン・ロートシルトの名称が誕生します。ワインの品質評価は高まる一方でしたが、歴代所有者らがこの貧しい地方に足を運ぶことはまずなく、長年にわたってムートンはほとんど関心を持たれずにいました。そんな中、1922年、ナタニエル男爵の曽孫にあたる弱冠20歳のフィリップ・ド・ロートシルト男爵がドメーヌを承継し、自らの生涯をドメーヌに捧げることになる、これはまさに好機の訪れだったのです。

1853年ナタニエル・ド・ロートシルト男爵は、自らの来賓にプライベートワインを振る舞いたいと願い、シャトー・ブラーヌ=ムートンを競売で落札します。
ワイナリーはメドックの中心、ポイヤック村に位置し、以後「シャトー・ムートン・ロートシルト」と改名されます。
1924年フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、1922年にドメーヌを相続します。ナタニエル男爵の曽孫にあたる人物です。
その2年後、フィリップ男爵はシャトー完全ボトル詰め(元詰め)システムを課します。
ワインは樽に詰められた状態でネゴシアン(ワイン商)へ出荷されていた時代のことです。
同年、フィリップ男爵はシャトーのラベル制作をジャン・カルリュに依頼します。こ
れは若干時期尚早だったのでしょうか、翌年は継続されませんでした。

1926年シャトー元詰めへの転換には、ワイン保管面積の拡大を要しました。
1926年、ムートンが誇る「シャトー」が建設されます。
全長100メートル、建築家シャルル・シクリスの作品です。
1933年メドックの伝統に則り、1933年、フィリップ男爵はポイヤックの小さなワイン商社を買収します。
現「バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社」の前衛です。
同社はムートン・カデ(1930年発売)を中心とするワイン生産・販売を事業とし、現在では、AOCボルドーワインの世界トップブランドに成長しています。

1945年フィリップ男爵は、連合軍の勝利とムートンへの自らの生還を祝して、芸術家フィリップ・ジュリアンにムートン・ロートシルトのワインラベル制作を依頼します。
「Victory」のVの文字がボトルを飾り、称賛を浴びます。以後毎年、現代美術家がムートンのために制作したオリジナル作品が、その年のワインラベルを飾っています。
1962年当時のフランス政府文化大臣、アンドレ・マルロー列席のもと、 「Musée du Vin dans l’Art(芸術の中のワイン・ミュージアム)」が開館します。
これはフィリップ男爵と2度目の妻ポーリーヌ夫人による立案で、夫人は特に高い感性と独創性で知られた方です。
グラン・シェに隣接する同美術館は、ブドウとワインをテーマとした様々な時代の優品を所蔵しています。

1973年フィリップ男爵の長年の尽力により、1855年の格付評価の不当性が認められ、シャトー・ムートン・ロートシルトはプルミエ・クリュ・クラッセ(格付第一級)に昇格します。
当時の農業大臣ジャック・シラク署名のデクレ制定により、ムートンは、本来属するべきエリート集団への仲間入りを公式に果たしました。
1981年フィリピーヌ夫人は、フィリップ・ド・ロートシルト男爵のひとり娘です。「Mouton Rothschild – L’Art et l’Etiquette(ムートン・ロートシルト – 芸術とワインラベル)」巡回展は、夫人自らが企画運営し、プルミエ・クリュのラベルを飾ったアート作品の原画が一般に公開されています。
同コレクションは、これまで世界各国40以上の美術館で展示され好評をいただいています。

1988年フィリップ男爵の死後、フィリピーヌ・ド・ロートシルト(バロネス)男爵夫人は、子供たち3人(カミーユ、フィリップ、ジュリアン)とともに至宝ワイナリーを承継します。
これは同時に重大な責務を負うことを意味します。
人気舞台俳優としてのキャリアに終止符を打ち、演劇界を去り、父上の事業を継ぐ決断に迷いはありませんでした。
こうして、夫人はバロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長に就任しました。
1991年、シャトー・ムートン・ロートシルトは、エール・ダルジャンの初回ヴィンテージを発表します。
1980年初頭、ムートン・ロートシルトの畑内に7ヘクタールの白ブドウ畑(57%セミヨン、42%ソーヴィニヨン、1%ミュスカデル)が植樹整備され、その区画から生まれる上質な辛口白ワインです。

1993年フィリピーヌ夫人は、セカンドワイン、ル・プティ・ムートン・ド・ムートン・ロートシルトを販売します。
すぐさま市場の支持を得ます。通常は若株ブドウ樹を精選し、グラン・ヴァン同様に入念な造りのワインです。
2003年シャトー・ムートン・ロートシルトは150周年を迎えます。
慣例を逸し、フィリピーヌ男爵夫人はこの年のラベルを祖先ナタニエル・ド・ロートシルト(1812年〜1870年)に捧げます。
1853年5月11日にムートンの所有権を取得した人物です。ラベルにはナタニエル男爵の当時の肖像が飾られています。
背景にはドメーヌ購入証書。
この文書は現在もムートンの資料庫に大切に保管されており、ロートシルト家とボルドーのグラン・ヴァンを結ぶ、壮大な恋愛物語の幕開けを意味します。

2006年9月28日、ビバリーヒルズのクリスティーズで開催された競売に、1945年ムートン・ロートシルト12本が登場し、29万USドルで落札されます。
同じく同ヴィンテージのマグナムボトル6本は、34万5000USドルで落札されています。
1945年シャトー・ムートン・ロートシルトはこれにて「世界で最も高価なワイン」の称号を手にします。
2012年新醸造庫が誕生します。
舞台装飾家リシャール・ペドゥッツィとボルドーの建築家ベルナール・マジエールに建築統括が任され、フィリップ・ダリュアン(一族所有シャトー代表取締役社長)との協議の上、 設計・施工を手掛けています。
伝統と技術革新が見事に一体化した豪華設備で、2012年から実生産を開始しています。
併設のテイスティングルームからはブドウ畑の眺望が楽しめます。

2014年フィリピーヌ夫人は、ロートシルト一族企業および一族所有ワイナリーにさらなる輝きを与え、生涯をかけてその名声を高める努力を続けてこられました。
そして、完全なる近代化を果たし、見事に拡大整備されたムートンを残してこの世を去られました。
現在は、夫人の子供たち3人(カミーユ・セレイス、フィリップ・セレイス、ジュリアン・ド・ボーマルシェ)がシャトーの所有権を共有し、常に秀逸性の追求に尽力されたお母様の精神をしっかりと受け継いでいます。
この強い思いを軸として、3人さらなる固い絆で結ばれています。
これまで同様、優れた手腕を発揮し偉大なるプルミエ・クリュの運営を行なうべく、長女カミーユおよび次男ジュリアンは、バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長を務める長男フィリップの全面的サポートにまわっています。

このワインは

天候条件
2月および3月はかなり乾燥した月で、ブドウ樹は早めに萌芽を迎えました。3月後半には乾燥傾向が深刻化し、生育進度に衰えが見られています。
品種ごと、若芽は3月27日から3月29日にあらわれています。
4月は寒く雨の多い日が続き、植物生育は中断し、春の畑作業にも乱れが見られました。
5月に入ると天候は一変し、暑く乾燥した日が続きます。
26日間雨が全く降らないという状況は、若株にとっては非常に厳しいものでした。

開花中間期は、平年比3〜5日早めの6月1日から6月4日に記録されました。
7月に入ると暑さが続き、果実着色は7月21日に始まります。
8月も非常に暑く乾燥した月となり、着色は順調に進みました。
8月15日には全品種で着色が完了しています。8月の真夏日(30℃以上)は全12日。
日の光に焦げたブドウ果実もありましたが、被害はかなり限定的でした。

年を通じて畑の衛生状態には綿密な管理が施されて来たとはいえ、9月および10月の雨による収穫への影響は無視出来ないもので、畑および蔵においては厳しい基準を課した選果作業を要しました。

収穫期間9月28日〜10月6日
アッサンブラージュ:カベルネ・ソーヴィニヨン86%、メルロ12%、カベルネ・フラン2%

ラベルデザイン
ルフィーノ・タマヨ(1899年〜1991年)は、オアハカ(メキシコ)にて、サポテカ族の家庭に生まれる。
20世紀メキシコを代表するアーティストのひとり。
家族の反対を押し切って、幼い頃からの志を失わず、早くからメキシコ市へ出て造形美術アカデミーで学ぶ。
そこで、先コロンブス期芸術の神秘とその多様性に多大なる感銘を受け、その後の作品制作にインスピレーションを与えることになる。
同郷の「メキシコ壁画運動家」らが押し出す革命運動に賛同出来ず、1926年には一度ニューヨークへと渡り、その10年後には再びニューヨークを拠点として長期にわたり活動することになる。

以降、メキシコおよびアメリカ合衆国を制作活動の場とし、両国で数々の個展を開催。
アメリカにおいては、ダルトン・スクールの後、ブルックリン美術館でも教鞭を取っている。
1950年のヴェネチア・ビエンナーレ、1959年にはカッセルのドクメンタIIに出品したことで国際的名声を高める。
1952年および1974年には、パリ市立近代美術館にて2度の展覧会が催され、同じくパリではユネスコ本部の壁画作品を制作している。
1960年代から1980年代、彼を称賛する声は絶えず、多数の美術賞を受賞し、タマヨは近代における最重要アーティストのひとりとして讃えられる。

メセナ事業にも積極的で、1974年には 先コロンブス期のオブジェ・コレクションを 生まれ故郷オアハカへ寄贈している。
また、メキシコの人々のためにも、彼自身の作品の中から多様な作品を厳選。
実に貴重な近代アート作品コレクションを贈呈している。
それを受けて1981年、メキシコ市にルフィーノ・タマヨ国際美術館が創設される。

色彩の豊かさ、パステルカラーの色調から眩いばかりの赤色まで、タマヨの画風は無邪気ささえ感じさせる図式的な面と、時おり激しさが発せられる表現主義の結合を特徴とする。
また、燦然たるエネルギーが作品からは感じられ、その勢いをオクタヴィオ・パスは「力のコンステレーション」と表現している。
不気味な、果ては夢幻的な創造物、それらは記憶の彼方にある太古からの伝統と、アーティストの無意識の中から生まれ出て来るようだ。

タマヨは、1990年、ムートン・ロスシルドのラベル作品の制作依頼を承諾していた。
運命というものは思いどおりにはならないもので、残された家族らは巨匠の生前の思いが実現することを希望した。
1998年ヴィンテージのラベルには、タマヨの家族が選んだ作品「ブリンディス(スペイン語で祝杯を意味する)」が贈られた。
乾杯の音頭を取るひとりの男。
赤く燃える太陽の下で、タマヨはこの平凡かつ庶民的儀式を、欲望を原型のまま捉えた衝撃的アレゴリーへと変貌させる。

テイスティング

濃厚さを物語るような濃い紫がかったルビー色。
ムートンらしい複雑な香り。
ベリー、スミレ、黒胡椒、バニラと何でもありな香り。
タンニンはまだまだしっかり。
パーカーおじさんによると飲み頃は2050年までなので、まだまだ早いとも言えます。

飲んだ日:2013-12-23
飲んだ場所:ふる川
価格:89,000円

wineninja

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