以前はそんなことなかったのにビオビオした香り。
遂に老舗の作り手もビオの邪教の手に落ちたのかと残念でなりません。
早く改宗して元の美味しい昔ながらのワインに戻って欲しい。
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ワインデータ
ワイン名:Bourgogne Rouge
生産地:France > Bourgogne
生産者:Dom. Gros Frère et Soeur (ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スール)
品種:Pinot Noir (ピノ・ノワール)
スタイル:Red Wine
ワイナリー
1804年、ニュイ・サン・ジョルジュから2キロほどの、オート・コート・ド・ニュイ地区のショーという小さな村で生まれたアルフォンス・グロから、一族の歴史が始まりました。
アルフォンスはラトゥール家の娘ジュリーと結婚し、1830年、トゥルーヴ家がヴォーヌ村のコミュンヌ通3番地に所有していた家を購入して、新居とします。
この夫婦には二人 の息子が生まれ、その一方のルイ・ギュスターヴが、グノー家の娘レーヌを嫁に迎えて、父のあとを継ぎました。
ルイ・ギュスターヴは、消費者向け直売の目的 で瓶詰めも行なった、この地区で最初の生産者たちの一人でした。1882年、リシュブールに2ヘクタールのブドウ畑を取得します。
ルイ・ギュスター ヴの息子ジュールは、ルノド家の娘ジャンヌと結婚しました。
1914~1918年の第一次世界大戦に徴兵された二人の息子のうち、生還したのは一人だけでした。
手足を失う重傷を負って帰還した息子ルイのために、ジュールは、レオンス・ボッケの資産が売却されたとき、クロ・ヴージョに二つのブドウ畑を買ったのです。
その数年後、ジュールは、グラン・エシュゾーを取得し、さらに、エシュゾーの古くから知られるリュー・ディ《レ・ロアショース》で、あまりにも細分化されていた畑を3ヘクタールに再編成することにその生涯を捧げました。
ジュールの息子ルイは、1951年に亡くなりました。
その4人の子供たちは、ドメーヌを共有し、ワインを生産していましたが、1963年にドメーヌの分割相続が行なわれます。
ギュスターヴとコレットは、それぞれの相続分を統合し、ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールを設立します。
ギュスターヴは1984年に世を去りましたが、その後継者として現在も経営しているのは、ジャンの息子ベルナールです。
ジャンとフランソワも、それぞれの相続分を統合し、1973年までは、グロ・ペール・エ・フィスという商号で生産していました。
その後、ジャンは、ドメーヌ・ジャン・グロを、フランソワは、ドメーヌ・フランソワ・グロを、それぞれ設立します。
ドメーヌ・ジャン・グロは、1995年の収穫後、ジャンの現役引退をもって解散しました。
ジャンが所有していたドメーヌは、その3人の子供たちに分け与えられたのです。
ドメーヌ・フランソワ・グロは、フランソワの一人娘アンヌが引き継ぎ、父親が他界したとき、ドメーヌ・アンヌ・グロとなりました。
アペラシオン
リシュブール
グラン・エシェゾー
エシェゾー
クロ・ヴージョ・ミュジニー
ヴォーヌ・ロマネ・レ・シャルム
ヴォーヌ・ロマネ・1er
ヴォーヌ・ロマネ
オート・コート・ド・ニュイ ルージュ
オート・コート・ド・ニュイ ブラン
このワインは
ドメーヌで使用するブルゴーニュ伝統の228リットル入りオーク樽は、ベルトランジュの森で生育した樫の木で作られています。
ドメーヌ専用のオーク材を買い付け、自社在庫として保有し、2年間、樽メーカーに預けて、良い樽になるよう乾燥させ、じっくりと円熟させます。
テイスティング
梅シソの香り。
ビオビオ感が凄い。
多分3日後に飲んだらこの邪悪な香りも消え失せて本当のピノ・ノワールの香りが出てくるとは思います。
味わいも梅シソ。
本来の繊細な味わいをビオ感が全て覆ってぶち壊している。
元々グロ一族の中でもそれ程上手に作れる作り手じゃないのにビオに走って更にダメに。
飲んだ日:2019-09-03
飲んだ場所:オレキス
価格:15,000円
インポーター:ヌーヴェル・セレクション