ワインを飲んでるんじゃない!情報を飲んでるんだ!

もしブラインドで「それほど高くないワイン」として出されたら評価は大きく変わるかもしれないワイン。
何故なら自分にワインの本質を理解する権能も知識体系もそれを感じ取る5感も備わっていないからで、むしろそれ程ブランド力がある凄まじいワインとも言える。
ワインをしっかり体系付けて学び、本質を見抜ける訓練をしていない飲み手は飲むべきではない。

ワインデータ

ワイン名:Ch. Mouton Rothschild
生産地:France > Bordeaux > Haut Médoc > Pauillac
生産者:Baron Philippe de Rothschild (バロン・フィリップ・ド・ロートシルト)
品種:Cabernet Sauvignon (カベルネ・ソーヴィニヨン), Merlot (メルロ), Cabernet Franc (カベルネ・フラン), Petit Verdot (プティ・ヴェルド)
スタイル:Red Wine

ワイナリー

18世紀、ムートンの畑は、ラフィットやラトゥール同じく、「葡萄の王子」との異名を取ったニコラ=アレクサンドル・ド・セギュール侯爵の所有にありました。その後、ド・ブラーヌ男爵が所有権を獲得し、ブラーヌ=ムートンと命名。1853年、名家ロスシルド家のイギリス分家に属するナタニエル・ド・ロートシルト男爵が所有権を取得し、現在のシャトー・ムートン・ロートシルトの名称が誕生します。ワインの品質評価は高まる一方でしたが、歴代所有者らがこの貧しい地方に足を運ぶことはまずなく、長年にわたってムートンはほとんど関心を持たれずにいました。そんな中、1922年、ナタニエル男爵の曽孫にあたる弱冠20歳のフィリップ・ド・ロートシルト男爵がドメーヌを承継し、自らの生涯をドメーヌに捧げることになる、これはまさに好機の訪れだったのです。

1853年ナタニエル・ド・ロートシルト男爵は、自らの来賓にプライベートワインを振る舞いたいと願い、シャトー・ブラーヌ=ムートンを競売で落札します。
ワイナリーはメドックの中心、ポイヤック村に位置し、以後「シャトー・ムートン・ロートシルト」と改名されます。
1924年フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、1922年にドメーヌを相続します。ナタニエル男爵の曽孫にあたる人物です。
その2年後、フィリップ男爵はシャトー完全ボトル詰め(元詰め)システムを課します。
ワインは樽に詰められた状態でネゴシアン(ワイン商)へ出荷されていた時代のことです。
同年、フィリップ男爵はシャトーのラベル制作をジャン・カルリュに依頼します。こ
れは若干時期尚早だったのでしょうか、翌年は継続されませんでした。

1926年シャトー元詰めへの転換には、ワイン保管面積の拡大を要しました。
1926年、ムートンが誇る「シャトー」が建設されます。
全長100メートル、建築家シャルル・シクリスの作品です。
1933年メドックの伝統に則り、1933年、フィリップ男爵はポイヤックの小さなワイン商社を買収します。
現「バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社」の前衛です。
同社はムートン・カデ(1930年発売)を中心とするワイン生産・販売を事業とし、現在では、AOCボルドーワインの世界トップブランドに成長しています。

1945年フィリップ男爵は、連合軍の勝利とムートンへの自らの生還を祝して、芸術家フィリップ・ジュリアンにムートン・ロートシルトのワインラベル制作を依頼します。
「Victory」のVの文字がボトルを飾り、称賛を浴びます。以後毎年、現代美術家がムートンのために制作したオリジナル作品が、その年のワインラベルを飾っています。
1962年当時のフランス政府文化大臣、アンドレ・マルロー列席のもと、 「Musée du Vin dans l’Art(芸術の中のワイン・ミュージアム)」が開館します。
これはフィリップ男爵と2度目の妻ポーリーヌ夫人による立案で、夫人は特に高い感性と独創性で知られた方です。
グラン・シェに隣接する同美術館は、ブドウとワインをテーマとした様々な時代の優品を所蔵しています。

1973年フィリップ男爵の長年の尽力により、1855年の格付評価の不当性が認められ、シャトー・ムートン・ロートシルトはプルミエ・クリュ・クラッセ(格付第一級)に昇格します。
当時の農業大臣ジャック・シラク署名のデクレ制定により、ムートンは、本来属するべきエリート集団への仲間入りを公式に果たしました。
1981年フィリピーヌ夫人は、フィリップ・ド・ロートシルト男爵のひとり娘です。「Mouton Rothschild – L’Art et l’Etiquette(ムートン・ロートシルト – 芸術とワインラベル)」巡回展は、夫人自らが企画運営し、プルミエ・クリュのラベルを飾ったアート作品の原画が一般に公開されています。
同コレクションは、これまで世界各国40以上の美術館で展示され好評をいただいています。

1988年フィリップ男爵の死後、フィリピーヌ・ド・ロートシルト(バロネス)男爵夫人は、子供たち3人(カミーユ、フィリップ、ジュリアン)とともに至宝ワイナリーを承継します。
これは同時に重大な責務を負うことを意味します。
人気舞台俳優としてのキャリアに終止符を打ち、演劇界を去り、父上の事業を継ぐ決断に迷いはありませんでした。
こうして、夫人はバロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長に就任しました。
1991年、シャトー・ムートン・ロートシルトは、エール・ダルジャンの初回ヴィンテージを発表します。
1980年初頭、ムートン・ロートシルトの畑内に7ヘクタールの白ブドウ畑(57%セミヨン、42%ソーヴィニヨン、1%ミュスカデル)が植樹整備され、その区画から生まれる上質な辛口白ワインです。

1993年フィリピーヌ夫人は、セカンドワイン、ル・プティ・ムートン・ド・ムートン・ロートシルトを販売します。
すぐさま市場の支持を得ます。通常は若株ブドウ樹を精選し、グラン・ヴァン同様に入念な造りのワインです。
2003年シャトー・ムートン・ロートシルトは150周年を迎えます。
慣例を逸し、フィリピーヌ男爵夫人はこの年のラベルを祖先ナタニエル・ド・ロートシルト(1812年〜1870年)に捧げます。
1853年5月11日にムートンの所有権を取得した人物です。ラベルにはナタニエル男爵の当時の肖像が飾られています。
背景にはドメーヌ購入証書。
この文書は現在もムートンの資料庫に大切に保管されており、ロートシルト家とボルドーのグラン・ヴァンを結ぶ、壮大な恋愛物語の幕開けを意味します。

2006年9月28日、ビバリーヒルズのクリスティーズで開催された競売に、1945年ムートン・ロートシルト12本が登場し、29万USドルで落札されます。
同じく同ヴィンテージのマグナムボトル6本は、34万5000USドルで落札されています。
1945年シャトー・ムートン・ロートシルトはこれにて「世界で最も高価なワイン」の称号を手にします。
2012年新醸造庫が誕生します。
舞台装飾家リシャール・ペドゥッツィとボルドーの建築家ベルナール・マジエールに建築統括が任され、フィリップ・ダリュアン(一族所有シャトー代表取締役社長)との協議の上、 設計・施工を手掛けています。
伝統と技術革新が見事に一体化した豪華設備で、2012年から実生産を開始しています。
併設のテイスティングルームからはブドウ畑の眺望が楽しめます。

2014年フィリピーヌ夫人は、ロートシルト一族企業および一族所有ワイナリーにさらなる輝きを与え、生涯をかけてその名声を高める努力を続けてこられました。
そして、完全なる近代化を果たし、見事に拡大整備されたムートンを残してこの世を去られました。
現在は、夫人の子供たち3人(カミーユ・セレイス、フィリップ・セレイス、ジュリアン・ド・ボーマルシェ)がシャトーの所有権を共有し、常に秀逸性の追求に尽力されたお母様の精神をしっかりと受け継いでいます。
この強い思いを軸として、3人さらなる固い絆で結ばれています。
これまで同様、優れた手腕を発揮し偉大なるプルミエ・クリュの運営を行なうべく、長女カミーユおよび次男ジュリアンは、バロン・フィリップ・ド・ロートシルト社の監査役会会長を務める長男フィリップの全面的サポートにまわっています。

このワインは

天候条件
1982年は、冬の天候の温暖さが特徴的な年でした。
1月、2月、3月は、平年よりも比較的高い気温を記録し、降水量は少なめでした。
このような天候条件のもと、ブドウの萌芽は早めに進み、赤ワイン用ブドウ品種3種ともに、3月30日、均質に萌芽を記録しています。
続く春の天候は、4月および5月は暑く、6月は多少の雨に恵まれています。 花の時期は、品種に応じて5月30日から6月3日にかけて進みました。
平年より12日近く早めです。7月に入っても猛暑と呼ぶべき乾燥した天候が続き、同月30日には激しい雷雨に見舞われました。
幸運にも8月に入ると好天の日が続き、過度な気温上昇も観測されず、第1週目にはブドウにとっては恵みの雨というべき適度な降雨がありました。
開花時に記録されていた生育の早まりは、夏の始めの過度な高温によって植物生育の中断が起きたことで、生育進度に若干の衰えが見られました。
着色は8月入ってすぐ始まります。
畑の衛生状態は異例の素晴らしさで、9月も最適な天候条件に恵まれ、果実成熟期終盤は良好な環境のもとで進みました。
結果、非常に上質な収穫が期待出来ました。

収穫期間:9月15日~9月24日
アッサンブラージュ:カベルネ・ソーヴィニヨン85%、カベルネ・フラン8%、メルロ7%

ラベルデザイン
ジョン・ヒューストン(1906年〜1987年)は、映画監督として知られ、同時にボクサーでもあり、美術愛好家、作家、馬の飼育者、狩人、俳優の肩書きを持つ。
若かりし頃から画才にも恵まれていた。
「ムートンにおける60回目の収穫を記念し、私の親愛なる友、バロン・フィリップに深い敬意を込めて」、フィリップ・ド・ロスシルド男爵に寄せられたヒューストンの言葉である。
友好の絆の深さと、魔力あふれるこの土地への彼自身の愛が感じられる。

1982年ムートン・ロスシルドのラベルには、晩年の作品のひとつである水彩画が描かれている。
官能的で、軽やかな優雅さ、深く温かみのある色彩。
そこには、具象派の技法を用いて象徴的モチーフである牡羊が描かれている。
ディオニュソスの快楽を身体いっぱいに感じるかのような動きで、その横には太陽とブドウが変わらず寄り添う。

テイスティング

退色があまり見られず長命な事がうかがい知れる。
そして熟成香も少ない。
むしろ香りはかなり少なめ。
正直なところピークアウト感は否めないように感じる。
少しずつ土やキノコの熟成香が立ち上ってくる。
タンニンはすっかり落ち着き、少し酸が顔を出す。
香りと味を楽しむんじゃない、歴史を楽しむんだ。
ロバート・パーカーは2065年までが飲み頃と記していますが本当かなあ…??

飲んだ日:2020-12-19
飲んだ場所:ピアット・デル・ベオーネ
価格:250,000円
インポーター:エノテカ

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