麦とホップ 華やぎの香りが自分の中でコストパフォーマンスが良く超ヒットだったので500mL24本3箱即買いして更に追加で3箱買ったのですが、これは350mL1本飲んだらギブアップでした。
雑味が強すぎて全然グッと来ない…
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ビールデータ
ビール名:HOKKAIDO NAMASHIBORI
生産地:日本 東京都渋谷区
生産者:SAPPORO BREWERIES
アルコール:5%
IBU(苦さ 平均15~20):
モルト:
ホップ:
タイプ:
価格:108円
インポーター:
ブリュワリー
1887年サッポロビールの前身「日本麦酒醸造会社」設立。
1889年目黒村三田(現在の東京都目黒区三田)に、レンガ造り3階建てのモダンな醸造場が完成。
当時、周囲には田園風景が広がっており、日本鉄道(現JR山手線)の列車が走行していた。
1980年第3回内国勧業博覧会で「恵比寿ビール」は最良好の評価を受ける。
1892年のちにビール王と称される馬越恭平が社長になってから、「恵比寿ビール」は急速に成長。
馬越は宣伝を重視し、その先頭に立って尽力した。
ハッピ姿で初荷を仕立て、正月の名物行事に仕立て上げるなど、馬越の活躍により「恵比寿ビール」が東京を代表するビールとなった。
1893年「日本麦酒株式会社」に社名変更。
この頃、恵比寿ビールの偽商標現れ告訴。
1894年恵比寿ビール発売。
1895年日清戦争の好景気で「恵比寿ビール」の売れ行きが増加。
資本金を増やし、工場拡大のため、用地買収に乗り出す。
のちに、目黒村と渋谷村(現渋谷区恵比寿)に合計3万坪強の土地を所有。
1899年新橋際(現銀座8丁目)に「恵比寿ビヤホール」を開設。
1900年「恵比寿ビール」、パリ万博で金賞を受賞。
1901年「恵比寿停車場」という恵比寿の名が付いた停車場ができる。
最初は、貨物専用駅として「恵比寿ビール」をここから各地へと出荷。1906年に旅客の取り扱いを開始し、一般の人が恵比寿駅を利用し始めた。
1904年「恵比寿ビール」米国セントルイス万博にてグランプリ受賞。
1906年日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒3社が合併、「大日本麦酒株式会社」創立。
1908年今後のビール需要を狙い、目黒工場、大規模な拡張工事を実施。
1923年関東大震災、目黒工場の被害は軽微で済んだ。
1943年ビールが配給品となり、ビールの全商標は一旦名を消す。
1945年東京大空襲で目黒工場罹災。仕込設備などに被害が及ぶ。
1946年目黒工場、製造再開。
1949年大日本麦酒株式会社が分割され、「日本麦酒株式会社」設立。
1964年「サッポロビール株式会社」に社名変更。
1971年目黒工場を恵比寿工場と改称する。
1985年「ビヤステーション恵比寿」誕生。
中でヱビスが飲める青いビヤ列車が人気に。
1994年恵比寿工場跡地に恵比寿ガーデンプレイス、オープン。
この発泡酒は
北海道産素材へのこだわりと、素材のうまみを引き出す製法により、爽やかな生を搾りだした味わいを実現しました。
北海道をぎゅーっと搾ったおいしさをお楽しみください。
2001年に発売。
2007年9月より「北海道生搾りみがき麦」に名称変更していたが、2010年4月のリニューアルで「北海道生搾り」に復帰した。
それに伴い、第一麦汁の量を従来の1.5倍以上にした「澄みきり搾り製法」を導入。麦芽になる大麦には北海道産の「りょうふう」、ホップは富良野産を一部使用している。
かつて発泡酒全盛期には主力商品として位置づけられ、CMプロモーションも積極的に行われていたが、第三のビールが低価格商品の主戦場となった2014年現在では、一般量販店での販売量も少なくなっているが、北海道においては根強い人気があり、北海道限定でCMが放映されている。
一方で業務用として活路を見いだし、樽生を販売している。
これは発泡酒としては珍しい。
国産の発泡酒・第三のビールで樽生・樽詰が販売されているのは、他に同じサッポロビールの『サッポロ麦とホップ The gold』、キリンビールの『麒麟淡麗〈生〉』、アサヒビールの『クリアアサヒ』のみである(2014年6月現在)。
テイスティング
黄金色。
雑味を感じる鼻を突く香り。
味わいも雑味優先。
余韻はリキュールっぽい味わい。
正直全然美味しくない。